HSPを隠したがる人へ

HSPを印籠のように示す人たち
このページをご覧いただいているということは、少なからず「HSPであることは周囲にバレたくない」と思っている方であると思います。
本来、HSP概念は「自分の特徴を示すひとつの視点」でしかないのです。
本来、隠す必要はないのですが、隠さないといけない理由があるのも頷けます。
2020年の夏ごろにHSPブームが起こってから、クリニックにて相談されることが急増しました。
それは「私はHSPだから考慮してください」と主張する人が増えたことによります。
印籠を出すようにHSPという言葉を使っているといえます。
「自分はHSPなのかもしれない」と自分の特徴を理解するために捉えることと、「HSPなので理解してくれ」と押し付けることでは、周囲の受け止め方は大きく変わっていきます。
後者は、無意識のうちに「人を支配してしまおう」としていることに気づくことができない状態にあります。
HSPを隠したがる人たち
cocoanやクリニックにいらっしゃる方は、HSPという言葉を印籠のように使う人をみて、自分もHSPである(感受性が高い)ことに対して嫌悪感を抱いています。
SNSやネットニュースで広がるHSP情報をみて、反って混乱する人が増えています。
HSPは診断名や病名ではないですので、HSPという言葉自体を使うことにリスクが生じます。
実際にクライエントの周囲の反応はとても冷たく、なかなか理解してもらいにくい現状があります。
ですから人を支配する意図がまったくなくても、HSPという言葉を使うことで、結果的に周りを操作する構図が生まれてしまうのです。
HSPという言葉自体には意味がありません。
自分がいま抱く症状や、しんどさの仕組みを知るひとつの視点がHSP概念である、と踏まえることが大切です。
なぜ、HSPを隠す必要があるのか?
実際にいらっしゃる方は、「自分はHSPである」と自認しているけれども、それを会社や周囲に言うことができないという葛藤を抱いています。
言うことができないから、HSPであることを認識する自分自身を奥底に隠して、何事もなかったかのように過ごしていくのです。
なぜ、HSPということを隠す必要があるのか?
その理由は3つあります。
他者のマイナス評価を避けるため
1つ目は、言われたことを納期内に効率よくこなすことを求められるからです。
感受性の高さのひとつの特徴は、ひとつの物事を処理するのに時間をかけていくことです。
先のことを予測し、リスクを想定し、あらゆる可能性を考えながら事前準備していきます。
そんな姿勢が、結果的に納期に間に合わないことにつながります。
納期どおりに提出できないことは、マイナス評価の対象となり「できない人」というレッテルを貼られるのです。
本当はこだわって完成度を高めたいし、自分の納得いくものに仕上げたい。
納期に間に合わせる力もありますが、提出した後に心残りがあって「もっとこうしておけばよかった」などと後から思いつくのです。
けれどもそうは言っていられない。求められていることがわかるからこそ、自分の本来の力を封印していきます。
繊細さはムダとする自己評価
2つ目は、自分ほど細かいことを察知して、気にしている人が周りにいないからです。
今の社会は「ふつう」であることが求められます。
ふつうの捉え方はそれぞれで良いですが、実際組織に所属し、集団で物事をこなそうとすれば、基準やルールが必要となります。
その基準から少しでも外れれば、“変な人・なんかおかしい人”と思われる環境なのです。
ちょっとした違和感や、誤字脱字、このまま進むとムダな労力で終わってしまう、相手に迷惑をかけてしまう。
それらにいち早く気づくけれども、周りは誰1人気づいていない。
実際に相手に伝えたら「誰もそんなこと気にしてないでしょ? 考えすぎじゃない?」と言われる。
どうせ言ったってムダだという考えになって、自分の意見を言うのをやめていくのです。
「些細なことに気づく」ことは、ムダなことなのだと学習するので、HSPを隠そうとします。
場の雰囲気を壊すことへの懸念
3つ目は、率直に思ったこと、感じたことを伝えても理解されないからです。
本来であれば、物事をみる視点は人それぞれです。
集団に属するということは、トップやリーダーの想い・方針・文化などに沿う必要がある場面が大半です。
ながい時を経て、その環境における「あたり前」が基準になり、それ以外のものは嫌厭されがちです。
自分の率直な意見や感じたことを相手に伝えることは、そんな雰囲気を壊すことになる。
自分の言動によって、円滑に進んでいるものが止まってしまうのではないか?
そう思うほどに、自分の意見を伝えることをやめていきます。
感受性が高いということは、周囲とのちがいをより浮き彫りにしていく。
今を生きるのに不都合なことばかりが起こるから、本来の感受性を隠していくのです。
自己認識と周りの理解は分ける
感受性の違いという視点で見れば、気づいていないこと、認識できないことをどれだけがんばって伝えても理解されないのは自然なことです。
自分でHSPであると認識することと、相手に理解してもらおうとするのは、まったく別のことなのです。
HSP概念自体は、自分で自分の特徴や特性を知るひとつの視点でしかありません。
自己理解を通り越して、誰かにわかってもらう必要はないのです。
まずは自分が自分を知ること。自分と向き合うことともいえます。
事実よりも捉え方が大切
自分と未来は変えられるけど、相手と過去は変えられない──そんな言葉が一時期、流行っていました。
それは半分は本当で、半分は嘘であると考えます。
なぜなら、それは言葉の捉え方によって変わってくるからです。
自分でコントロールできるか否かの視点で言えば、そうかもしれません。
しかし「捉え方」は、どちらも変えることができます。
相手がどう受け止めてどんな動態をするのかは変えられませんが、自分が相手をどう捉えるかは変えられます。
自分のスタンスが変わったら、結果、相手にも変化が生じた、ということも起こりえます。
過去に起こった事実は変えられませんが、出来事の意味づけや教訓は選び取ることができます。
その瞬間に変えられなくても、時が経って環境が変わったら変わっていく──そんなこともあるのです。
隠す/隠さないもニュートラルでいる
自分がHSPであると認識することに対して、誰かから何かを言われる筋合いはありません。
また、自分がHSPであることをわざわざ人に言う必要もないのです。
隠してもいいし、隠す必要もないのです。
隠す必要がないというのは、言葉に出さないということではなく、「自分からフタをする必要がない」ということです。
いまいる環境や組織に身をおくなかで、本来の自分の特徴を出していたら、成り立たないことが大半であると思います。
そんな時は“一時的に”隠してもいいのです。
「一生、隠しつづけなければならない」なんてことは、まったくありません。
自覚的に「今はこんな自分でいよう。この人の場合は、こんな態度で接しよう」と決めれば、それでいいのです。
自分の特徴を知って、周囲との違いを受容する。
そのためにHSP概念があります。
自分のいま抱く考えや気持ちに、まずは自分から寄り添ってあげましょう。
だれにも理解されなくても、自分自身は自分の味方でいてあげてくださいね。
